(リード文担当:Mia Kinoue)
皆様、こんにちは。いつもメールマガジンを読んでいただきありがとうございます。今回ご縁があって、メールマガジンのリード文を書くことになりました。そこで、S.C.P.Japan の活動に纏わるテーマの中から、「多様性」について少しだけ深く掘 り下げて考えてみようと思います。このメールマガジンを読まれている方にとって、興味の湧く内容であれば幸いです。
S.C.P.Japanの活動に関わっている方々と同じように、わたしも「多様性」について考えたり 、感じたりする機会がたくさんあります。毎日耳にするニュースやネットの情報からだけでもその機会は多くありますが、時には、実際に自分自身や自分の身の周りで起ったことから 、そのことについて考えたりもします。
多様性という言葉が持つイメージは、人それぞれあると思いますが、わたしの場合は、今住んでいる国が、大きく自身の「多様性」のイメージに影響しているように思います。それは、わたしの住んでいるフランス共和国が、移民大国だからです。
昨今のテロ事件から、移民というキーワードが独り歩きして、負のイメージだけが晒されがちですが、移民なくしてフランスはないというくらい、様々な人種が混合して国ができてい ます。人種の違いだけではなく、宗教の違い、性的指向の違い、母国語の違い、生活様式の違い、食文化の違い、…と、多様性と国の歴史は切っても切り離せない関係にあります。わたし自身、移民の立場なので、あくまで個人的な体験から日々感じていることですが、価値観や文化的背景の異なる人々が集まってつくられてきた社会では、自分が当たり前だと思っていることが相手にとっては当たり前ではないという思想のベースが、自然な形で根付いているようです。
多様性があたり前の社会になれば、それに対立する考え方が生まれてくるのも確かです。例えば、アイデンティティーの概念ひとつとっても、定義をするのは難しく、その重要性も人それぞれです。しかしそのような社会の中であってもひとつだけ明確なことがあります。それは、多様性=考え方の違い、というはっきりとした事実がある以上、個々が自由に考えたりその考えを表現することは認めなければならず、その権利はすべての人に平等なのだということです。(もちろん、モラルを守った範囲で、ですがこの線引きもまた難しいようです 。)
西洋諸国だけではなく、あらゆる国が急速に発展し、多様化している今、自由と多様性はどこに行っても大きなテーマであるのだろうと思います。そこから目を逸らすことは社会との関わりを絶つのと同じくらい、無視できないことなのではないのかとも思います。
こうした多様性へのアプローチを活動の一環としているS.C.P.Japanがこれからも様々な関わりの場や意見交換の場をつくっていけるよう、応援したいと思います。多様性を認めることが、自他の自由を認めることでもあり、自由がない社会をつくらないための、はじめの一歩でもあるからです。
(リード文担当:Mia Kinoue)